おはようございます。わたるです。
最近気づいたの。「こうあるべき概念」が強いと言うことに。
なんでかって言うと、メンターに指摘されて気付かされた。
それに気づいて、最初に出てきた感情はショックだった。ショックなのか、え?っていうこの感情はどう表現したらいいのだろうか。。
なぜショックだったのかというと、これまでの経験からおれはどちらからと言うと自分のことは固定概念がなく、自由な考えで何かに縛られていると言う意識は全く持ってなかったからだ。海外での経験や、色んな人に会って話を聞かせてもらったり、家庭環境が、親が自営業やったり親戚もマンション持ってたり、金持ち父さんで言うESBIの働き方の構図で全て知っていたから、いわゆるサラリーマン家庭で大学に進んで公務員なって、最後まで働くっていうザ・王道ルート!みたいな概念は全くなかった。また2年間の海外生活を通して、より考え方の幅が広がって視野がかなり広い方だと自負していた。
だけど、ことビジネスの世界に入ってみるとこうあるべきみたいな考え方があるんだなって気付かされた。単純に知らない世界に飛び込んできたから、ここの世界はこうなんだって言う概念が強かったのかもしれない。
唯一考えられる、こうあるべき考え方として持っているのが、長男はしっかりしてるべし。と言うやつ。これに如何に苦しめられてきたか。本当は生意気でいたい、もっとわがままに生きたい。そう言うふうに生きてる人を見ると羨ましく感じたりする。世渡り上手な人って、そう言うのが上手いイメージあるよね。相手の懐に入るのが上手くて、心を鷲掴みにする!みたいな。世渡り上手できっと上手くいくね!って言われてたが、確かに上の人に好かれ色んな機会をいただいていたけど、だけど、おっきい欠点としてもう一歩踏み込めなかった。そう、距離感が微妙だった。絶妙ではなく微妙。変な気遣いや遠慮があるが故に、こうあるべきって言うのに捉われて、心を鷲掴みまではすることができなかったんだと思う。その時から、こうあるべきって言うのはあったんだ、、書いてて気づいた。
経営者には、偉い人にはこう接するべき!みたいな、でもその中でも上手く付き合って好かれてる人は、本当にそこの距離感が絶妙すぎる。気を使いすぎてるわけでもないし、めっちゃ横柄な態度をとっているわけでもない。攻めと守りのバランスがとてつもなく上手い。
こうあるべきって言うのは、おそらく小中高とやっていた部活が影響してるのかもしれない。野球部はとにかく上下関係が厳しい世界だ。先輩にはこう接するべき。しっかりとするべき。みたいな。確かにそうかもしれないけど、そこでも先輩と上手く接して、好かれてた人っていうのは距離感が絶妙。
この距離感とはなんなのか、
相手がこの人といて、こいつオモロイと思えるかつ、しっかりしてるなっていうバランス。しっかりしすぎてて真面目で近寄りがたいより、真面目なんだけど、会話の中でタメ語をところどころ挟んだり、タメ語を使っても変な気持ちにならないような雰囲気と立ち振る舞いで喋ってたりする、この距離感。一言で言うと、立ち振る舞いなのかな。言葉にしても、どの言葉をチョイスするかで、変わってくる。
なので、こうあるべき概念ってないものだと思っていたけど、意外と幼少期の頃から形成されていたということを知れた。
ビジネスの世界でも、もっと色んなことを学んで知って、もっと知らない世界を知るために貪欲に。
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