おはようございます。わたるです。
真面目だね。っていう言葉が嫌い。
あまり真面目っていう言葉に対して良い印象を持たない。
だけど、真面目という印象を与えがち。
なんで嫌いかというと、真面目=つまらない。っていうイメージが強いから。
しっかりしてるね〜とか、真面目だね〜っていうことを言われるのは正直あまり好きじゃない。
なんか、一つ壁がある感じがする。距離がそれを言われた時点で遠くなる気がする。それを言われたくないから、あまり真剣な話とかを表で出さないようにとか、真面目じゃないようにこいつ遊んでるな〜って思わせるように見せてるのかも。
なんで好きじゃないかというと、真面目にやってる自分よりちゃらけたような友達の方が成績も出して、こっちにとって良い分が無かった経験があるから。それが劣等感(?)になってるから?
俺の周りはちゃらんぽらんなやつばっかりだった。だけどみんな勉強はできるスポーツはできる、面白い、とかそのギャップで余計に良い印象を与えるのが、羨ましく感じた。あとは面白いっていう事に対してもかなりコンプレックス。野球部の頃はみななの前でギャグをするとかが日常茶飯事で他のみんなが個性的で面白くて自分だけ面白くないみたいなのとか、結婚式の2次会とかみんなの前で何かをするなんてもってのほかだ。とにかく嫌すぎて避けてきた。やばいなこう書いてみると、劣等感しかないやん。笑
逆ギャップだね。真面目そうに見えて、意外と中身無い。みたいな。それが嫌で嫌で。だから良いギャップを持ってる人に憧れを持っちゃう。あいつ何考えてるんだろうね、大丈夫か?みたいなやつが、めっちゃ稼いでたり、バリバリのビジネスマンだったり。そういうギャップを求めてるから、あまり仕事してるところとかは見せたく無いのかも。
そう見せることで、え、実は!?経営してたの?とか、フォロワーめっちゃ多いやん!っていうギャップをもらえることが喜びに繋がる。一方で見えないから、何をしてるのかとか、不透明、大丈夫?とか、謎人間になってしまうよく無い側面もある。
人はコンプレックスを抱えて生きてるのか…
面白いと思われなくてもいい、楽しい人っていう印象を与えられれば良いなっていう。だけど、その楽しい人っていう印象を与えるがために自分を犠牲にするのはよくないから、自分らしく楽しく生きるがゴールかな。
コンプレックスってそう簡単に、拭えない気がするんだけどどう思う?トラウマとかね。人の目を気にするとか、どう思われるとか、この真面目さっていうコンプレックスだとか、そう簡単には変われない気がする。色んな本読んでも、例えば今に集中しなさいとか。過去に囚われるなとか。抽象的なことばかりで、確かに今に集中したら忘れられて改善には繋がるかもしれないけど、節々でよぎったりすると、また思い返し、根本的な解決には繋がらないんじゃ無いかって思う。
だけど俺なりに、これは良いっていうのがある。それが環境を変える。付き合う人を変える。仕事を変える。まさに人生を変える3つの変化って言われてるやつ。
それがちょうど1年半前くらいかな。福岡に引っ越し、地元の友達とは完全に連絡を断ち、仕事も辞め独立。それから1年。むしろ仕事の完全独立は今年の7月だからまだ日は浅いけど、徐々に変化は感じる。ただめっちゃ変わった!!!とはまだ思わない。まずは半年後の1月に変化を感じられるよう、目の前のコツコツと真剣に向き合って、この言語化ももっと伸ばせるよう、思考を続けよう。やっぱり脳みそは楽をしようとする。考えるのをやめる。そこからもう1段階いこ。
この真面目っていうテーマに対しては深掘りできてるのかね。
言語化は求めてることを知って、どうしたら良いのかをふかぼる。
今回求めてることは、自分らしく楽しく生きるということだった。そのために、目の前を一生懸命頑張るっていう事になった。まだ、浅いな。
次章、「自分らしく楽しく生きるとは?」
コメント