おはようございます。わたるです。
今日は、言葉の概念に絞って言語化を練習してみる。
優しいとは。これは深い。真の優しさとは一体なんなのか。
相手を思いやって、何かしてあげる事なのか、辛そうにしてる人を助けてあげる事なのか、荷物を持ってる人を助けて持ってあげる人のことを優しいというのか。。恋愛だと、相手のことを思い遣って、フルことが優しさみたいなケースもあったり。
航が思う優しさとはなんなのか。
自分の中に軸があり、強さを持ち、相手にとって良い選択をしてあげられる事が真の優しさ。
相手が良いと思ってこっちがやった優しさとは本当に相手にとって都合のいい事なのか。
例えば焼肉を食べてるケースで考えると、自分の分だけではなく、相手の分まで焼いてあげる。それをどんどんついでいく。
一見すると、相手に気配りできて、優しそうに見えるが、相手からしたらお腹いっぱいなのに、断れなかったりするケースもあるし、自分のこだわりの焼き加減があって本当は自分で焼きたいけど、言えなかったり、自分のペースで食べたいけど、どんどん来るから焦って食べてしまう。。など、受け取り方は100人いれば、100通りあるわけだ。
こっちは、相手のことを思ってやった優しさのつもりが、相手にとってはそれはただの押し付けという勘違いが起きている。これは優しさとは言い難い。。
優しいから、相手に怒れないとか、思ってても言えないとか、傷ついてしまいそうだから言えないとか、言ってあげない事が真の優しさなのか?俺は違うと思う。
それは相手にどう思われようと、相手のことを本気で思うと、嫌な受け取り方をされようともそれが相手のためと思ったらいうべき。怒るべき。それは自分の中で嫌われても良いっていう強さを持ちながら、相手のことを本気で考えてあげられるかの違いだと思う。
困ってる目の前の人を見て見ぬ振りする日本人の悪しき文化も、優しさとは程遠いと感じる。
相手にどう思われるかっていう、人の目を気にするマインドブロックを削った上で、嫌われる勇気を持ち、相手目線で物事を考えられて行動に移せる人が優しい人だなと思う。
例えばさっきの焼肉の話も、相手目線に立って、物事を考える事ができたらもっと楽しく焼肉が楽しめるはずだ。
相手に気を遣わせないためにこっちが気を遣わないとかね。会った当初から私人見知りです。なんていう人は、結構ひどいことをしてるなって思う。人見知りですっていうことで、あなた喋るの頑張ってくださいねって職務放棄してるようなもの。これはいかに相手にとって残酷な事をしてることか。っていうのも優しい優しく無いの判断基準の一つとしてある。
だから自分の中での優しさとは、常に相手に矢印が向いてて、最終的には自分に矢印が強く向いてるから、相手に矢印が向けられるみたいな。ことかな。伝わるかな…
相手に優しくすることで、何かいい事が起こる。良い気持ちになる。そう、自分にとってもメリットしかない。逆に、相手が甘えてしまう、舐められる。みたいなことも起こり得る。相手が甘えてしまうことは、それは優しさとは言えない。だから、たまにきつめのことを言ってあげたりして、飴と鞭を使い分ける。舐められるに関しては、人間関係を構築していくっていう視点から見ると、程度によるが良いとは思っている。その方が付き合いやすい人だっているから。
自分の優しさを仇にして返す人だって世の中にはいる。それらも全て知った上での、人との関わり方が必要になる。仇に返されたって、それを受け入れる自分の中での強さがあれば、また一つこういう人もいるんだっていう判断材料になったりする。
一言で言うならば、優しさとは強さである
自分の母親は優しいと思う。常に相手に気配り、相手を思いやれる。その反面自分を犠牲にしてしまうという事もあったりする。いや、待てよ。それは優しいのか?自分を犠牲にしてまで助けてもらえる事が相手にとって望んでる事なのか?ちょっと違う気がするな。。でも、旅行先で、階段を登ってる時に、目の前に荷物を背負った人が歩いてて、後ろからサッと手を差し伸べて、何も言わずに手伝ってあげたあの行動は自分の中ですごいなと思った。このとき、あ、大変そう手伝ってあげよ。って思っても、いきなりものを触られたら不愉快な気持ちになるとか、何この人?みたいな、相手にどう思われるかマインドが先に働いてしまう。ここが稼げる人と稼げない人の差だといつも教わっている。(母親ではなくメンターに。)思った事を瞬時にできるかどうか。自分が気づいても見て見ぬ振りしてないか。そこの間髪挟まずに即行動できる人が強いと言っていた。母はそれが出来てたっていう印象。
思った事をすぐに行動に移せる強さと、そう思える優しさを兼ね備えてる。優しさの鏡だ。
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